忘れもしません。
忘れたくても
忘れられません。
こんにちは!
アスレティックトレーナー・鍼灸師の久保太吾です。
小学3年生の時。
当時8階建てマンションの3階に住んでいた久保家。
6畳の部屋にオカンと2段ベッドの下に弟、上に自分。
別の4畳半の部屋でオヤジが寝ていました。
そしてち今から30年前の1995年1月17日 5時46分。
前日にスケートに行き、また学校始まるなぁと思ってたこの日。
上のベッドで寝ていたらいきなり下から突き上げる衝撃を何度も受けました。
また寝ぼけて蹴ってきてるやん
たまに弟が寝ぼけて上のベッドを蹴ってくる事があったのでそれかなと思ってたら…
地震や!!!!!!
その時に生まれて初めて地震というものを体感しました。
ずっと突き上げる衝撃に怯えてた自分。
大丈夫や大丈夫や!!
不安になっている息子を少しでも安心させようと必死になって声を掛けてくれてた事もはっきり覚えています。
4畳半の部屋で寝てたオヤジは寝てる両サイドにあった楽器やらレコードを大量に置いてた棚を必死で押さえていたとその時に聞きました。
その後みんな起きてテレビをずっと見ていました。
しばらくするとテレビに出てきたのはあちこちで崩れた家やビル、駅もぐしゃぐしゃ。
町全体が火の海になってた所も。
戦争やんこれ…
オヤジがそう呟いてたのも鮮明に記憶に残っております。
そしてちょうどこの日、母方のお爺ちゃんがちょうど神戸の親戚の元に向かってたタイミングでした。
当時携帯電話は無く連絡が全くつかない状態。
数日間連絡が取れない状態でした。
えっ?
爺ちゃん死んだん??
大丈夫!!生きてる!!
根拠はなかったとは思いますがそうあってほしいと願って言ってたと思います。
だからこそしばらく経ってから連絡が来た時はみんなでめちゃくちゃホッとしました。
話を聞く所によると、ちょうどその時阪神高速神戸線に乗ってたとの事。
そして下記写真の崩れた高速に入る少し手前を走ってたそうです。
あと少し早く家を出てたら…
スピードを上げて少し早く行ってたら…
そう思うとものすごいタイミングやったなとその当時子どもながらに思っていました。
あの日から30年が経ちました。
年もだいぶ取りましたが、あの時の記憶はこれからも一生残ると思います。
そして、この地震の後も東日本での3.11や熊本であった地震、数年前に大阪周辺であった6.18の地震、そして昨年能登であった1.1など全国でこういった災害が起こっております。
そんな中で今何事もなく自分のやりたい事をやりながら生きている。
その事に感謝しながらまた1日1日を過ごしていくべきやなと。
30年前を振り返り改めて感じました。
生きたくても生きることが出来なかった方々が数多くいらっしゃいます。
だからこそ生きている今を大事にする。
この事を胸に秘め日々気持勝負で生きたいと思います。
ではこの辺で…
ほな✋
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